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はじめに [はじめに]

1957年(昭和32年)9月23日に大阪市京阪電鉄千林駅前に
「主婦の店ダイエー」(株式会社主婦の店ダイエー本店大阪)が開店しました。

ダイエーの第1号店で、
「中内功*1回想録」(流通科学大学・編/発行、2006年9月)によると、
「主婦の店ダイエー」は、
店舗面積:97㎡、社員数13名、取扱品目:化粧品・薬品・雑貨、
初日売上高:28万円だったそうです。
(注*1:中内功の‘功’は正しくは右辺が‘刀’です。)

「主婦の店ダイエー」(1970年3月に株式会社ダイエーに社名変更)は、
1972年に売上高で三越を抜いて小売業日本一となりました。
スーパーマーケットが百貨店を抜いたのです。

第1号店開店から約15年で小売業売上高日本一を達成したダイエーはその後、
拡大・多角化路線を突っ走りました。

しかし、1990年代後半から業績悪化が表面化し、
2001年1月には創業者の中内功さんがダイエーを去りました。

そして、ダイエーは、2004年に産業再生機構の支援を受け再建を目指すことになり、
創業50周年の2007年には丸紅株式会社とイオン株式会社との
資本・業務提携に合意しました。
(2008年2月にイオンはダイエーの筆頭株主になったそうです)。

わずか50年余のダイエーの歴史はこのように、
頂上に登りつめ、しばらく頂上にいたと思ったら、
あっという間に転落して、
次のコースターが代わりに頂上に登りつめているという
ジェットコースターのような歴史です。

ダイエーが頂上にいた頃は、
流通王としてあらゆる賛辞を受けた創業者の中内功さんですが、
業績が悪化すると、その賛辞は否定へと変わりました。

2005年9月19日に中内功さんは逝去されましたが、
ダイエーは社葬を行わなかったそうです。

会社創業者というよりも業績を悪化させた悪者のために使うお金はない、
または会社再建中だから創業者のためでも余分な出費はしないという
当時の経営陣のお考えだと思いますが、何とも冷たいものです。

さて、前置きが長くなりましたが、
2008年の初めから中内ダイエーについて書かれた本を読み漁っているうちに、
「主婦の店」というスーパーマーケットを探す旅を始めることになってしまいました。

「主婦の店」を探す旅は、
‘スーパーマーケットの原点’を探る旅でもありました。

この旅、というよりも取材(「行ってきました」シリーズ)を通じて
私がスーパーマーケットについて感じたことを
~「風車系主婦の店」を探せ!~という題でまとめてみました。


流通革命は終わらない―私の履歴書 (私の履歴書)

流通革命は終わらない―私の履歴書 (私の履歴書)

  • 作者: 中内 功
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2000/12
  • メディア: 単行本



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