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岐阜県東濃地域の「風車系主婦の店」 [「行ってきました」シリーズ]

岐阜県東濃地域には、
多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、
そして中津川市の5市があります。

この東濃地域は、
「主婦の店運動」が盛んな地域でした。

開店した「風車系主婦の店」は次の通りです。

 ① 主婦の店多治見店/1958年(昭和33年) 4月 1日開店
 ② 主婦の店恵那店/  1958年(昭和33年) 9月12日開店
 ③ 主婦の店瑞浪店/  1958年(昭和33年)12月 1日開店
 ④ 主婦の店土岐店/  1958年(昭和33年)12月12日開店
 ⑤ 主婦の店中津川店/1959年(昭和34年) 5月27日開店

この5店舗の「風車系主婦の店」の中でリーダー役だったのは、
東濃地域で最初の主婦の店
「主婦の店多治見店」(金山省吾社長)だったそうです。

吉田日出男さんは「主婦の店多治見店」について、
前掲書「スーパーの原点」第7章日本スーパーマーケット研究所の
‘スーパーマーケットの代名詞「主婦の店」’の項(142ページ)に
次のように書いています。

・・引用・・
 そしてスーパーマーケットの代名詞が
 「主婦の店」であると思われたぐらいだから、
 主婦の店本部への開店指導を求めるものは多かった。
  ・・略・・
 昭和三十三年四月に、岐阜県多治見店が開店した。
 この計画者は日専連(注:日本専門店連盟)の会員で、
 金山さんという前は洋服店をやっていた人であったが、
 全面的に切りかえた。
 ここは二百坪というそのころとしては
 非常に大きな陶器倉庫を改造した店舗であった。
 この開店の時にオオクワ(注:後の主婦の店新宮店で、
 現在の株式会社オークワのこと)の社長大桑勇氏が見えて、
 「私もぜひ主婦の店をやりたい、ぜひ指導して欲しい」と申し出る、
 というようなことがあった。
・・引用終わり・・

2008年3月8日(土曜日)に、
「主婦の店中津川店」(現:スマイル四ツ目川店、岐阜県中津川市新町7-25)、
「主婦の店恵那店」の跡地(岐阜県恵那市大井町銀座2丁目商店街、
現在のバロー恵那店は開業地ではない)、
「主婦の店土岐店」(現:サンマート本店、岐阜県土岐市泉町久尻38番地4)
へ行ってきました。

「主婦の店多治見店」と「主婦の店瑞浪店」は既に廃業しています。

「主婦の店瑞浪店」があった場所
(現在は市営河原駐車場、瑞浪市寺河戸町字河原)へ
3月2日(日曜日)に行ってきました。

しかし、「主婦の店多治見店」があった場所の確認に
予想以上に手間取ってしまい、
跡地に建っている「たじみ創造館」へ行ったのは
3月29日(土曜日)のことでした。


小売りイノベーションの源泉―経営交流と流通近代化

小売りイノベーションの源泉―経営交流と流通近代化

  • 作者: 矢作 敏行
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 1997/09
  • メディア: -



中内功さんと吉田日出男さんの‘交流’ [「行ってきました」シリーズ]

学校法人中内学園流通大学が編集・発行した
「中内功回想録」(2006年9月)と
「スーパーの原点」(吉田日出男・著、1982年4月)を読むと、
中内功さん(主婦の店ダイエー)と
吉田日出男さん(丸和フードセンター)が
‘交流’していたことがわかります。

①「中内功回想録」に吉田日出男さんが何度も登場し、
  中内さんが「ダイエー」第1号店に「主婦の店」を
  冠した経緯の記述もあります。

  たとえば、同書120~121ページに次の記述があります。

  ・・引用・・
   「主婦の店運動」というのを吉田日出男さんがやっていました。
   吉田日出男さんが九州でスーパーをやっているということを聞きまして
   千林に「株式会社主婦の店ダイエー本店大阪」を設立しました。
   ・・略・・
   「スーパーマーケットでフランチャイズをやるのは難しい」と
   と私(注:中内功さんのこと)は吉田さんに言った。
  ・・引用終わり・・

②「スーパーの原点」第8章 風車の店に
  ‘ダイエー中内氏と私’という項があり、
  主婦の店ダイエーと丸和フードセンターの‘交流’についての
  具体的な記述があります。


スーパーの原点 (1982年)

スーパーの原点 (1982年)

  • 作者: 吉田 日出男
  • 出版社/メーカー: 評言社
  • 発売日: 1982/04
  • メディア: -



吉田日出男さん [「行ってきました」シリーズ]

岐阜県図書館で借りた
「日本小売業運動史 第三巻(戦後編)」は
本当に参考になりました。

1957年(昭和32年)1月23日から3日間、
生協対策として社団法人公開経営指導協会が
鳥取県米子市で主催した「全国小売業経営者会議」の2日目に
「セフルサービスについて-丸和フードセンターを語る」と題した
話をして参加者を昂奮させたという
丸和フードセンター社長の吉田日出男さんに、
私は非常に興味を持ちました。

丸和フードセンターは、
日本で最初のスーパーマーケットであった。(注*2)

同書247ページにこのように記載されている
丸和フードセンターが開店したのは
1956年(昭和31年)3月10日のことです。

(注*2:日本で最初のスーパーマーケットについては
 「日本で最初のスーパーマーケットは?」の項で記載する予定です)

私は吉田日出男さんのことを
インターネット検索などで調べました。

そして、次の2冊の本があることがわかりました。

① 「スーパーの原点」(吉田日出男・著、1982年、評言社)
② 「風車と共に 主婦の店運動25年」
   (主婦の店スーパーマーケット全国チェーン25周年記念誌編纂委員会・編集、
    1982年、主婦の店スーパーマーケット全国チェーン)

「スーパーの原点」という本は、
岐阜県内の公立図書館の中で
「羽島市立図書館」だけにあることがわかり、
同図書館へ再び行き、
「スーパーの原点」を借りました。

2008年3月1日(土曜日)のことです。

続いて3月2日(日曜日)には、
瑞浪市民図書館へ行きました。
「風車と共に 主婦の店運動25年」を借りるためです。

「風車と共に 主婦の店運動25年」という本は
岐阜県内の公立図書館の中で、
瑞浪市民図書館と中津川市立図書館の2館にあるだけでした。

この2冊の本を読んで、
岐阜県東濃地区が
「風車系主婦の店運動」(注*3)の
中心的な地域であったことを知りました。

(注*3:日本最初の主婦の店である「主婦の店大垣店」は、
 公開経営指導協会の指導によるものでしたが、
 その後、意見対立などから吉田日出男さんが同協会を飛び出ました。
 吉田日出男さん指導による「主婦の店」は、
 ‘風車マーク’をつけていましたので、「風車系主婦の店」と呼ばれていました。)


スーパーの原点 (1982年)

スーパーの原点 (1982年)

  • 作者: 吉田 日出男
  • 出版社/メーカー: 評言社
  • 発売日: 1982/04
  • メディア: -





風車と共に―主婦の店運動25年 (1982年)

風車と共に―主婦の店運動25年 (1982年)

  • 作者: 主婦の店スーパーマーケット全国チェーン
  • 出版社/メーカー: 主婦の店スーパーマーケット全国チェーン
  • 発売日: 1982/04
  • メディア: -



「千代菊」(千代菊経営研究道場) [「行ってきました」シリーズ]

2008年2月28日(木曜日)に
「主婦の店一宮店」の所在地を尋ねるために
岐阜県羽島市竹鼻町にある清酒醸造業の
千代菊株式会社(岐阜県羽島市竹鼻町2733)の
直売店へ行ってきました。

純米酒(720ml)を2本買い求め代金を支払う際に
「貴社の取引先であった昭和32年11月に開店した
「主婦の店一宮店」の住所を知りたいのですが?」
と直売店の女性に聞いてみました。

すると、女性は経理担当者に電話して
「主婦の店一宮店」という得意先が
登録されているかどうかを確認してくれましたが、
登録されていないとの回答でした。

続いて、その女性は社長に電話してくれました。

社長としばらく話をしていた女性は受話器を私に渡し
「社長と直接お話下さい」と言いました。

私は「主婦の店一宮店」を探していることを伝えましたが、
社長は「千代菊経営研究道場のことは
先代がやっていたことだから詳しいことはわからない」として、
先代と一緒に活動していたという方を紹介してくれました。

しかし、私はこの方に接触はしませんでした。
なぜなら自分自身の足で調べたかったからです。

千代菊直売店を後にした私は
続いて羽島市立図書館へ行きました。

千代菊の先代社長、
坂倉又吉さんのことを調べるためです。

羽島市立図書館2階の郷土資料室で
「出会いと積み重ねによって」(坂倉又吉・著、1972年、自由書房)
という本を見つけました。

‘昭和53年5月12日から7月13日まで43回にわたり
中部読売新聞に掲載された事を本にした’ものだそうで、
「主婦の店」に関する記述が多くあり、
「主婦の店大垣店」、「主婦の店加納店」、「主婦の店長良店」、
「主婦の店千手堂店」、「主婦の店忠節店」は登場しましたが、
私が探している「主婦の店一宮店」は登場しません。

一からの出直しとなりましたが、
私は楽観していました。

というのは、「日本小売業運動史 第三巻(戦後編)」に、
前述の通り、岐阜県西一宮店と記載されていたことから、
「主婦の店一宮店」は名古屋鉄道尾西線の
西一宮駅周辺にあったのではないかと直感したからです。

楽観した私は
「主婦の店一宮店」探しを
しばらく休むことにしました。


酒縁―酒をめぐる人生一〇〇話

酒縁―酒をめぐる人生一〇〇話

  • 作者: 坂倉 又吉
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1985/10
  • メディア: 単行本



「主婦の店一宮店」探し [「行ってきました」シリーズ]

「流通資料館」を訪ねた翌日の2008年2月22日(金)から
「主婦の店一宮店」探しを始めました。

「主婦の店一宮店」のことを調べるために
まず岐阜県図書館へ行ってきました。

「気になることは直ぐに調べる」が
私のモットーの一つです。

流通関係のいろいろな本を確認した中で、
「日本小売業運動史 第三巻(戦後編)」
(社団法人公開経営指導協会・編/発行、1981年3月)が
参考になりました。

同書の「第六章 主婦の店運動と流通革命」の
250ページに次の記載がありました。

・・引用・・
 第三号店は小倉、丸和フードセンターの別館(七月二十日)
 第四号店は千代菊経営研究道場の八人の酒小売店の共同による岐阜・加納店、
 五号店も千代菊経営研究道場メンバーによる一の宮店、と急速に広がった。
・・引用終わり・・

さらに、同書256ページの〔主婦の店一覧表〕に
岐阜県西一宮店(一宮市)という記載がありました。

「主婦の店一宮店」探しと並行して2月22日(金曜日)に、
1957年(昭和32年)10月9日に開店して以来、
現在も営業している「主婦の店」第4号店の
「主婦の店加納店」(岐阜県岐阜市加納上本町3丁目31-1)
へ行ってきました。

そして、2月24日(日曜日)には、
1957年(昭和32年)5月3日に開店した
「主婦の店」第1号店の「主婦の店大垣店」の跡地に建っている
「コメダ珈琲店 大垣林町店」(岐阜県大垣市林町1丁目1-1)
へ行ってきました。


日本小売業運動史〈第3巻〉戦後編 (1981年)

日本小売業運動史〈第3巻〉戦後編 (1981年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 公開経営指導協会
  • 発売日: 1981/03
  • メディア: -



流通科学大学「流通資料館」 [「行ってきました」シリーズ]

2008年2月21日(木曜日)午後1時30分頃に
学校法人中内学園流通科学大学にある
「流通資料館」(兵庫県神戸市西区学園西町3丁目1番)
へ行ってきました。

「風車系主婦の店を探せ!」の始まりです。

流通科学大学の職員の方に
「中内記念館」、「流通資料館」の順に案内していただきました。

「流通資料館」には中内功さんが収集された
77台のレジスターが展示されていましたが、
私はあまり興味がありませんでした。

しかし、「主婦の店ダイエー」の再現されたファザードを見た時、
照明のせいもあるのでしょうが、
メラメラと燃え上がる何かを感じました。

次に、「主婦の店ダイエー」のファザードの
下辺りに掛けられていた
初期の“主婦の店”の写真を見ました。

その中に「岐阜県一宮店」の写真がありました。

明らかに「愛知県一宮店」の間違いだと直感しました。

私は、つい先ほど感動したばかりの
「主婦の店ダイエー」のファザードのことを忘れ、
「岐阜県一宮店」のことが気になって
頭から離れなくなりました。


流通科学大学 中内功理事長から僕たちへのハガキ。

流通科学大学 中内功理事長から僕たちへのハガキ。

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: アシーネ
  • 発売日: 1989/11
  • メディア: 単行本



「わが安売り哲学(新装版)」 [「行ってきました」シリーズ]

私が「主婦の店」を探すきっかけになった本、
それは岐阜県図書館で見つけた
「わが安売り哲学(新装版)」
(中内功・著、2007年9月、千倉書房)です。

1969年に出版され、
出版から5年後に絶版となった
「わが安売り哲学」を復刊するにあたり、
学校法人中内学園理事長の中内潤さんは
巻頭の「復刊にあたって」に次のように書いています。

・・引用(同書2ページ)・・
メーカーの力が圧倒的に強く、
スーパーがスーッと出てパッと消えるからスーパーだと
揶揄されるほどちっぽけな存在だった昭和三十年代、四十年代前半に、
中内功が、安売りを通じて、どういう社会をつくろうとうとしたのか、
中内の唱える流通革命、消費者主義とはいったい何なのか、
本書を通じて追体験していただきたいと存じます。
・・引用終わり・・

「わが安売り哲学(新装版)」読んで、
私が好奇心という名のエンジンをスタートさせたのは、
中内功さんが書かれた本文ではなく、
中内功さんが収集したという
アンティーク・キャッシュ・レジスター(77台)の写真でもなく、
レジスターの写真下の説明にあった
「流通科学大学・流通資料館」に興味を持ったからです。


わが安売り哲学 (中内功シリーズ)

わが安売り哲学 (中内功シリーズ)

  • 作者: 中内 功
  • 出版社/メーカー: 千倉書房
  • 発売日: 2007/10
  • メディア: 単行本



はじめに [はじめに]

1957年(昭和32年)9月23日に大阪市京阪電鉄千林駅前に
「主婦の店ダイエー」(株式会社主婦の店ダイエー本店大阪)が開店しました。

ダイエーの第1号店で、
「中内功*1回想録」(流通科学大学・編/発行、2006年9月)によると、
「主婦の店ダイエー」は、
店舗面積:97㎡、社員数13名、取扱品目:化粧品・薬品・雑貨、
初日売上高:28万円だったそうです。
(注*1:中内功の‘功’は正しくは右辺が‘刀’です。)

「主婦の店ダイエー」(1970年3月に株式会社ダイエーに社名変更)は、
1972年に売上高で三越を抜いて小売業日本一となりました。
スーパーマーケットが百貨店を抜いたのです。

第1号店開店から約15年で小売業売上高日本一を達成したダイエーはその後、
拡大・多角化路線を突っ走りました。

しかし、1990年代後半から業績悪化が表面化し、
2001年1月には創業者の中内功さんがダイエーを去りました。

そして、ダイエーは、2004年に産業再生機構の支援を受け再建を目指すことになり、
創業50周年の2007年には丸紅株式会社とイオン株式会社との
資本・業務提携に合意しました。
(2008年2月にイオンはダイエーの筆頭株主になったそうです)。

わずか50年余のダイエーの歴史はこのように、
頂上に登りつめ、しばらく頂上にいたと思ったら、
あっという間に転落して、
次のコースターが代わりに頂上に登りつめているという
ジェットコースターのような歴史です。

ダイエーが頂上にいた頃は、
流通王としてあらゆる賛辞を受けた創業者の中内功さんですが、
業績が悪化すると、その賛辞は否定へと変わりました。

2005年9月19日に中内功さんは逝去されましたが、
ダイエーは社葬を行わなかったそうです。

会社創業者というよりも業績を悪化させた悪者のために使うお金はない、
または会社再建中だから創業者のためでも余分な出費はしないという
当時の経営陣のお考えだと思いますが、何とも冷たいものです。

さて、前置きが長くなりましたが、
2008年の初めから中内ダイエーについて書かれた本を読み漁っているうちに、
「主婦の店」というスーパーマーケットを探す旅を始めることになってしまいました。

「主婦の店」を探す旅は、
‘スーパーマーケットの原点’を探る旅でもありました。

この旅、というよりも取材(「行ってきました」シリーズ)を通じて
私がスーパーマーケットについて感じたことを
~「風車系主婦の店」を探せ!~という題でまとめてみました。


流通革命は終わらない―私の履歴書 (私の履歴書)

流通革命は終わらない―私の履歴書 (私の履歴書)

  • 作者: 中内 功
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2000/12
  • メディア: 単行本



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