「主婦の店全国チェーン」の解散 [「行ってきました」シリーズ]
矢作敏行・著「小売りイノベーションの源泉」
(日経新聞社、1997年9月発行)の
第1部 流通近代化の旗手‘3主婦の店運動の興亡’によると、
風車系主婦の店は;
~組織管理能力の欠如から70年代半ば以降急速に衰退し、
主婦の店の看板を掲げる店の多くは、
シジシージャパンに合流したそうです。~
そして、主婦の店スーパーマーケット全国チェーンは
1998年7月に解散しました。
ボランタリーチェーン主婦の店スーパーマーケット全国チェーン
(風車系主婦の店)はなくなりましたが、
風車系主婦の店の創業精神は
今もどこかのスーパーマーケットで生きていると私は信じています。
私の「風車系主婦の店」を探す旅
(「風車系主婦の店」へ行ってきましたシリーズ)は
これからも続きます。
(日経新聞社、1997年9月発行)の
第1部 流通近代化の旗手‘3主婦の店運動の興亡’によると、
風車系主婦の店は;
~組織管理能力の欠如から70年代半ば以降急速に衰退し、
主婦の店の看板を掲げる店の多くは、
シジシージャパンに合流したそうです。~
そして、主婦の店スーパーマーケット全国チェーンは
1998年7月に解散しました。
ボランタリーチェーン主婦の店スーパーマーケット全国チェーン
(風車系主婦の店)はなくなりましたが、
風車系主婦の店の創業精神は
今もどこかのスーパーマーケットで生きていると私は信じています。
私の「風車系主婦の店」を探す旅
(「風車系主婦の店」へ行ってきましたシリーズ)は
これからも続きます。
「たじみ創造館」 [「行ってきました」シリーズ]
2008年3月29日(土曜日)に多治見市図書館で
「多治見市居住者名簿地図」(1960年、東濃新報社発行)を見て
「主婦の店多治見店」の所在地を確認した後、
「主婦の店多治見店」の跡地に建っている
「たじみ創造館」(岐阜県多治見市本町5-9-1)へ行ってきました。
「たじみ創造館」館内を一回りした後、
「たじみ創造館」が「主婦の店多治見店」の跡地に
建っていることを確認するために、
同館1階の多治見市PRセンターにいた女性に聞いてみました。
私:
「ここは昔、「主婦の店多治見店」があった場所ですか?」
女性:
「そうです。ちょっと待ってください」
(女性は横にいた若い男性に「〇〇さんを呼んできて」と頼んだ。
しばらくすると男性が現れた。)
私:
「主婦の店多治見店はここにあったのですか?」
男性:
「主婦の店はここにありました」
私:
「私は「風車系主婦の店」を探しています。
東濃地方の主婦の店のリーダー役だったのが
主婦の店多治見店だと聞いています」
男性:
「よくご存知ですね」
私:
「でも、社内で謀反があって閉鎖することになったようです」
男性:
「謀反ではありません。経営陣の中で経営方針の違いがあったのです」
私:
「よくご存知ですね?」
男性:
「私は「主婦の店多治見店」で働いていました」
私:
「えっ!本当ですか」
男性:
「なつかしいなぁ」
「あの当時は仕入で本当に苦労した。
地元の市場は売ってくれなくて、名古屋まで青果を買いに行った。
名古屋の、えっ~と、あの人、・・・そう、〇〇さんに本当に世話になった」
私:
「スーパー〇〇〇〇の先代社長ですか?」
男性:
「〇〇〇〇、そうそう」
「多治見市居住者名簿地図」(1960年、東濃新報社発行)を見て
「主婦の店多治見店」の所在地を確認した後、
「主婦の店多治見店」の跡地に建っている
「たじみ創造館」(岐阜県多治見市本町5-9-1)へ行ってきました。
「たじみ創造館」館内を一回りした後、
「たじみ創造館」が「主婦の店多治見店」の跡地に
建っていることを確認するために、
同館1階の多治見市PRセンターにいた女性に聞いてみました。
私:
「ここは昔、「主婦の店多治見店」があった場所ですか?」
女性:
「そうです。ちょっと待ってください」
(女性は横にいた若い男性に「〇〇さんを呼んできて」と頼んだ。
しばらくすると男性が現れた。)
私:
「主婦の店多治見店はここにあったのですか?」
男性:
「主婦の店はここにありました」
私:
「私は「風車系主婦の店」を探しています。
東濃地方の主婦の店のリーダー役だったのが
主婦の店多治見店だと聞いています」
男性:
「よくご存知ですね」
私:
「でも、社内で謀反があって閉鎖することになったようです」
男性:
「謀反ではありません。経営陣の中で経営方針の違いがあったのです」
私:
「よくご存知ですね?」
男性:
「私は「主婦の店多治見店」で働いていました」
私:
「えっ!本当ですか」
男性:
「なつかしいなぁ」
「あの当時は仕入で本当に苦労した。
地元の市場は売ってくれなくて、名古屋まで青果を買いに行った。
名古屋の、えっ~と、あの人、・・・そう、〇〇さんに本当に世話になった」
私:
「スーパー〇〇〇〇の先代社長ですか?」
男性:
「〇〇〇〇、そうそう」
佐吉大仏 [「行ってきました」シリーズ]
2008年3月23日(日曜日)に
私は岐阜県羽島市竹鼻町を再び訪れました。
佐吉大仏を拝観するためです。
吉田日出男さんは、
千代菊経営研究道場を主宰していた坂倉又吉さんの
協力者である内藤寿太郎さんから
竹ケ鼻(現在の岐阜県羽島市竹鼻町)に昔から伝わる
仏の佐吉という立派な商人の話を聞き、
1957年(昭和32年)3月23日に仏の佐吉が作らせたという
佐吉大仏を初めて拝観しています。
吉田日出男さんは、
ここでは詳しく書きませんが、
仏の佐吉にとても感激し、
商業運動(主婦の店運動)の決意をしたそうです。
そして、商業運動を決意した日、
3月23日を主婦の店の創業記念日と定めました。
(「スーパーの原点」第6章「主婦の店」誕生の
‘“仏の佐吉”との出会い’の項を参照)
私は佐吉大仏を拝観した後、
佐吉大仏の所有者である永田家を訪ねました。
「仏佐吉の画伝」(美濃竹鼻まちづくり委員会・編集発行、1997年4月)を
買い求めるためですが、
応対してくださった方々から吉田日出男さんについて
貴重なお話をうかがうことができました。
ところで、私が佐吉大仏を拝観した日は、
吉田日出男さんが初めて佐吉大仏を拝観した日と同じ3月23日であること、
すなわち主婦の店の創業記念日だったことに後から気づきました。
私は岐阜県羽島市竹鼻町を再び訪れました。
佐吉大仏を拝観するためです。
吉田日出男さんは、
千代菊経営研究道場を主宰していた坂倉又吉さんの
協力者である内藤寿太郎さんから
竹ケ鼻(現在の岐阜県羽島市竹鼻町)に昔から伝わる
仏の佐吉という立派な商人の話を聞き、
1957年(昭和32年)3月23日に仏の佐吉が作らせたという
佐吉大仏を初めて拝観しています。
吉田日出男さんは、
ここでは詳しく書きませんが、
仏の佐吉にとても感激し、
商業運動(主婦の店運動)の決意をしたそうです。
そして、商業運動を決意した日、
3月23日を主婦の店の創業記念日と定めました。
(「スーパーの原点」第6章「主婦の店」誕生の
‘“仏の佐吉”との出会い’の項を参照)
私は佐吉大仏を拝観した後、
佐吉大仏の所有者である永田家を訪ねました。
「仏佐吉の画伝」(美濃竹鼻まちづくり委員会・編集発行、1997年4月)を
買い求めるためですが、
応対してくださった方々から吉田日出男さんについて
貴重なお話をうかがうことができました。
ところで、私が佐吉大仏を拝観した日は、
吉田日出男さんが初めて佐吉大仏を拝観した日と同じ3月23日であること、
すなわち主婦の店の創業記念日だったことに後から気づきました。
日本のスーパーマーケット―経営の理論と実際 (1960年) (経営シリーズ〈第1〉)
- 作者: 倉本 初夫
- 出版社/メーカー: 文化社
- 発売日: 1960
- メディア: -
‘風車マーク’の由来 [「行ってきました」シリーズ]
「スーパーの原点」(吉田日出男・著、評言社)の
154~155ページより引用しました。
・・・これまで、主婦の店という名のスーパーマーケットの
チェーンづくりをやってきたのですが、
その名前がよいせいですか、
全国にたくさん模倣するものが出てきましたので、
それらと区別するために、
風車のマークをつけて、
私たちのグループのマークとして使うようにしたわけです。
風車の中の四つの羽根は、
それぞれ意義を持たせているわけです。
その一枚の羽根は、消費者、お客さまです。
一枚の羽根は、社員の皆さんです。
一枚の羽根は、資本を提供して下さった株主です。
四枚目の羽根は、メーカー、
またはその代理をする問屋さん、仕入先です。・・・
154~155ページより引用しました。
・・・これまで、主婦の店という名のスーパーマーケットの
チェーンづくりをやってきたのですが、
その名前がよいせいですか、
全国にたくさん模倣するものが出てきましたので、
それらと区別するために、
風車のマークをつけて、
私たちのグループのマークとして使うようにしたわけです。
風車の中の四つの羽根は、
それぞれ意義を持たせているわけです。
その一枚の羽根は、消費者、お客さまです。
一枚の羽根は、社員の皆さんです。
一枚の羽根は、資本を提供して下さった株主です。
四枚目の羽根は、メーカー、
またはその代理をする問屋さん、仕入先です。・・・
「主婦の店エマ」 (主婦の店上松店) ・・・2 [「行ってきました」シリーズ]
私が最初に行った店舗は、
1964年(昭和39年)7月23日に開店した
「主婦の店エマ上松店」(長野県木曽郡上松町駅前通り2丁目9)です。
‘風車マーク’はありませんでした。
残念。
続いて、1967年(昭和42年)4月1日に開店した
「主婦の店エマ栄町店」(長野県木曽郡上松町栄町2丁目35)へ
歩いて向かいました。
‘風車マーク’がありました。
ペンキが剥げ落ちているし、
風車の向きが少し変ですが、
間違いなく‘風車マーク’です。
感動の瞬間。
黙って写真を撮るのは
「風車系主婦の店」に対して失礼なので、
‘風車マーク’の撮影許可を求めるために
「主婦の店エマ栄町店」に入り、
お店の女性に尋ねました。
私:「写真を撮っていいですか?」
女性:「どの写真ですか?」
私:「表の‘風車マーク’です。風車系主婦の店を探しているので」
女性:「それならいいと思います」
私:(レジ台横のボードにチラシが貼ってあり、‘風車マーク’があるのを見つけて)
「チラシをもらえないですか?」
女性:「これ1枚しか持ってこなかったので。‘風車’ならレジ袋にありますよ」
(と言ってレジ袋を見せてくれる)
私:「じゃあ、買物をするので、余分に1枚下さい」
女性:「いいですよ」
私は‘風車マーク’を見つけたことで興奮していましたが、
その一方で気になることがありました。
それは「主婦の店エマ栄町店」に買物に来ていた
複数の高齢の女性たちのことです。
私は、これらの高齢の女性たちはきっと
「主婦の店エマ栄町店」の開店した1967年から
約41年間ずっとお客さま、
すなわち‘主婦’だと思いました。
「主婦の店エマ栄町店」は、
スーパーマーケットというよりは田舎の総合食料品店
といった方が正しいのかもしれませんが、
‘主婦’のための店であることは間違いないと思いました。
1964年(昭和39年)7月23日に開店した
「主婦の店エマ上松店」(長野県木曽郡上松町駅前通り2丁目9)です。
‘風車マーク’はありませんでした。
残念。
続いて、1967年(昭和42年)4月1日に開店した
「主婦の店エマ栄町店」(長野県木曽郡上松町栄町2丁目35)へ
歩いて向かいました。
‘風車マーク’がありました。
ペンキが剥げ落ちているし、
風車の向きが少し変ですが、
間違いなく‘風車マーク’です。
感動の瞬間。
黙って写真を撮るのは
「風車系主婦の店」に対して失礼なので、
‘風車マーク’の撮影許可を求めるために
「主婦の店エマ栄町店」に入り、
お店の女性に尋ねました。
私:「写真を撮っていいですか?」
女性:「どの写真ですか?」
私:「表の‘風車マーク’です。風車系主婦の店を探しているので」
女性:「それならいいと思います」
私:(レジ台横のボードにチラシが貼ってあり、‘風車マーク’があるのを見つけて)
「チラシをもらえないですか?」
女性:「これ1枚しか持ってこなかったので。‘風車’ならレジ袋にありますよ」
(と言ってレジ袋を見せてくれる)
私:「じゃあ、買物をするので、余分に1枚下さい」
女性:「いいですよ」
私は‘風車マーク’を見つけたことで興奮していましたが、
その一方で気になることがありました。
それは「主婦の店エマ栄町店」に買物に来ていた
複数の高齢の女性たちのことです。
私は、これらの高齢の女性たちはきっと
「主婦の店エマ栄町店」の開店した1967年から
約41年間ずっとお客さま、
すなわち‘主婦’だと思いました。
「主婦の店エマ栄町店」は、
スーパーマーケットというよりは田舎の総合食料品店
といった方が正しいのかもしれませんが、
‘主婦’のための店であることは間違いないと思いました。
「主婦の店エマ」(主婦の店上松店)・・・1 [「行ってきました」シリーズ]
私の「主婦の店を探せ!」はいつの間にか
「風車系主婦の店を探せ!」(風車マークを探せ!)
に変わりました。
それは、「主婦の店」と言っても、
いろいろな系統があったことが少しずつわかってきて、
その中でも‘風車マーク’の「主婦の店」(風車系主婦の店)、
すなわち吉田日出男さんが指導した
「主婦の店」にしか興味がなくなったからです。
「主婦の店を探せ!」が始まった
2008年2月22日から
3月17日(月)までに訪ねた「主婦の店」、
または「主婦の店」跡地は次の通りです。
① 「主婦の店大垣店」 (跡地)
② 「主婦の店浜松店」 (現:「主婦の店城北店」)
③ 「主婦の店加納店」 (営業中)
④ 「主婦の店瑞浪店」 (跡地)
⑤ 「主婦の店中津川店」 (現:スマイル四ツ目川店)
⑥ 「主婦の店恵那店」 (跡地)
⑦ 「主婦の店土岐店」 (現:サンマート本店)
⑧ 「主婦の店一宮店」 (跡地)
⑨ 「主婦の店北方店」 (跡地)
⑩ 「主婦の店柳ケ瀬店」 (営業中)
しかし、「風車系主婦の店」のシンボルである
‘風車マーク’を見つけることはできませんでした。
さて、2008年3月18日(火曜日)に
JR岐阜駅から東海道本線に乗り、
名古屋で中央本線(西線)に乗り換えて
長野県木曽郡福島町上松へ行ってきました。
岐阜駅から上松駅までは3時間以上かかりました。
「主婦の店エマ」を見るためです。
‘風車マーク’を見ることができるとの予感がありました。
「主婦の店エマ」は、
「主婦の店恵那店」(現:バロー)の創業者である
伊藤喜美さん(現・バロー相談役名誉会長)の紹介により
吉田日出男さんの指導を受け開店した「風車系主婦の店」です。
伊藤喜美さんは「主婦の店エマ」のエピソードを
前掲書「風車と共に 主婦の店運動25年」の
地方座談会Ⅲ中部地区協議会の中で
次のように述べています。
・・引用・・
ところで、長野の上松店がおみえになっていませんが、
依馬現社長のご両親は恵那出身で、
昔からよく存じておりました。
以前は米屋さんでしたが、昭和39年頃私のところへみえまして、
「主婦の店をやってみたいが、どうしたらよいか」ということで、
私は金山社長と吉田先生の三人で上松店へ出向いて、
いろいろと相談にのったものです。
・・引用終わり・・
「風車系主婦の店を探せ!」(風車マークを探せ!)
に変わりました。
それは、「主婦の店」と言っても、
いろいろな系統があったことが少しずつわかってきて、
その中でも‘風車マーク’の「主婦の店」(風車系主婦の店)、
すなわち吉田日出男さんが指導した
「主婦の店」にしか興味がなくなったからです。
「主婦の店を探せ!」が始まった
2008年2月22日から
3月17日(月)までに訪ねた「主婦の店」、
または「主婦の店」跡地は次の通りです。
① 「主婦の店大垣店」 (跡地)
② 「主婦の店浜松店」 (現:「主婦の店城北店」)
③ 「主婦の店加納店」 (営業中)
④ 「主婦の店瑞浪店」 (跡地)
⑤ 「主婦の店中津川店」 (現:スマイル四ツ目川店)
⑥ 「主婦の店恵那店」 (跡地)
⑦ 「主婦の店土岐店」 (現:サンマート本店)
⑧ 「主婦の店一宮店」 (跡地)
⑨ 「主婦の店北方店」 (跡地)
⑩ 「主婦の店柳ケ瀬店」 (営業中)
しかし、「風車系主婦の店」のシンボルである
‘風車マーク’を見つけることはできませんでした。
さて、2008年3月18日(火曜日)に
JR岐阜駅から東海道本線に乗り、
名古屋で中央本線(西線)に乗り換えて
長野県木曽郡福島町上松へ行ってきました。
岐阜駅から上松駅までは3時間以上かかりました。
「主婦の店エマ」を見るためです。
‘風車マーク’を見ることができるとの予感がありました。
「主婦の店エマ」は、
「主婦の店恵那店」(現:バロー)の創業者である
伊藤喜美さん(現・バロー相談役名誉会長)の紹介により
吉田日出男さんの指導を受け開店した「風車系主婦の店」です。
伊藤喜美さんは「主婦の店エマ」のエピソードを
前掲書「風車と共に 主婦の店運動25年」の
地方座談会Ⅲ中部地区協議会の中で
次のように述べています。
・・引用・・
ところで、長野の上松店がおみえになっていませんが、
依馬現社長のご両親は恵那出身で、
昔からよく存じておりました。
以前は米屋さんでしたが、昭和39年頃私のところへみえまして、
「主婦の店をやってみたいが、どうしたらよいか」ということで、
私は金山社長と吉田先生の三人で上松店へ出向いて、
いろいろと相談にのったものです。
・・引用終わり・・
「主婦の店一宮店」 [「行ってきました」シリーズ]
2008年3月16日(日曜日)に
一宮市立豊島図書館へ行ってきました。
もちろん「主婦の店一宮店」を調べるためです。
(公開系の)「主婦の店一宮店」が開店した
1957年(昭和32年)11月の
中部日本新聞(現在の中日新聞)を借りて、
「主婦の店一宮店」に関する記事を探しましたが
見つかりませんでした。
ひょっとしたら「主婦の店一宮店」は
岐阜県にあった(?)
と弱気になりながら、
もう一度中部日本新聞を見直しました。
今度は記事ではなく
求人募集広告欄を探しました。
すると、1957年(昭和32年)11月3日の
中部日本新聞に次の求人募集広告を見つけました。
◎急募◎ 女子店員 10数名
男子店員 数名
健康明朗身元確実通住可 履歴書持参ご来店下さい
アメリカ式システム 楽しいお買物
スーパーマーケット 主婦の店
連絡所 一宮天王町(西一宮駅前)KKかぎや商店
続いて私は古い住宅地図を借りました。
「全住宅案内図帳」(昭和35年10月1日 住宅協会)に
「主婦の店」が載っていました。
名古屋鉄道尾西線「西一宮」駅のすぐ近くです。
中部日本新聞と「全住宅案内図帳」を複写した後、
私は‘現場’へ急行しました。
吉田日出男さんは「スーパーの原点」
第7章日本スーパーマーケット研究所の
‘「主婦の店」本部’の項139~140ページに
次のように書いています。
・・引用・・
私は新開店の指導を次々に依頼されて、身辺多忙をきわめた。
当時のメモを見ると、三十二年十月に岐阜・加納店が開店した。
これは酒屋さんであった。
次いで十一月に開店した一宮店は、
土地では有名な「かぎや」という食品店で、
祖父の代からの立派な商店であった。
・・引用終わり・・
余談ですが、廃業してしまって跡形がない
「主婦の店」を探す方法としては、
地元の図書館へ行き、
その当時の新聞と住宅地図を調べる方法がありますが、
図書館の担当者に年配の方、
特に女性がいると大いに助かります。
なぜなら、私が探している「主婦の店」を利用していた
‘主婦’である可能性が高いからです。
ちなみに、一宮市立豊島図書館で
「主婦の店一宮店」の跡地を
探すのを手伝っていただいた女性から
「西一宮だけでなく、東一宮という駅もあった」
ことを教えていただきました。
一宮市立豊島図書館へ行ってきました。
もちろん「主婦の店一宮店」を調べるためです。
(公開系の)「主婦の店一宮店」が開店した
1957年(昭和32年)11月の
中部日本新聞(現在の中日新聞)を借りて、
「主婦の店一宮店」に関する記事を探しましたが
見つかりませんでした。
ひょっとしたら「主婦の店一宮店」は
岐阜県にあった(?)
と弱気になりながら、
もう一度中部日本新聞を見直しました。
今度は記事ではなく
求人募集広告欄を探しました。
すると、1957年(昭和32年)11月3日の
中部日本新聞に次の求人募集広告を見つけました。
◎急募◎ 女子店員 10数名
男子店員 数名
健康明朗身元確実通住可 履歴書持参ご来店下さい
アメリカ式システム 楽しいお買物
スーパーマーケット 主婦の店
連絡所 一宮天王町(西一宮駅前)KKかぎや商店
続いて私は古い住宅地図を借りました。
「全住宅案内図帳」(昭和35年10月1日 住宅協会)に
「主婦の店」が載っていました。
名古屋鉄道尾西線「西一宮」駅のすぐ近くです。
中部日本新聞と「全住宅案内図帳」を複写した後、
私は‘現場’へ急行しました。
吉田日出男さんは「スーパーの原点」
第7章日本スーパーマーケット研究所の
‘「主婦の店」本部’の項139~140ページに
次のように書いています。
・・引用・・
私は新開店の指導を次々に依頼されて、身辺多忙をきわめた。
当時のメモを見ると、三十二年十月に岐阜・加納店が開店した。
これは酒屋さんであった。
次いで十一月に開店した一宮店は、
土地では有名な「かぎや」という食品店で、
祖父の代からの立派な商店であった。
・・引用終わり・・
余談ですが、廃業してしまって跡形がない
「主婦の店」を探す方法としては、
地元の図書館へ行き、
その当時の新聞と住宅地図を調べる方法がありますが、
図書館の担当者に年配の方、
特に女性がいると大いに助かります。
なぜなら、私が探している「主婦の店」を利用していた
‘主婦’である可能性が高いからです。
ちなみに、一宮市立豊島図書館で
「主婦の店一宮店」の跡地を
探すのを手伝っていただいた女性から
「西一宮だけでなく、東一宮という駅もあった」
ことを教えていただきました。
岐阜県東濃地域の「風車系主婦の店」 [「行ってきました」シリーズ]
岐阜県東濃地域には、
多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、
そして中津川市の5市があります。
この東濃地域は、
「主婦の店運動」が盛んな地域でした。
開店した「風車系主婦の店」は次の通りです。
① 主婦の店多治見店/1958年(昭和33年) 4月 1日開店
② 主婦の店恵那店/ 1958年(昭和33年) 9月12日開店
③ 主婦の店瑞浪店/ 1958年(昭和33年)12月 1日開店
④ 主婦の店土岐店/ 1958年(昭和33年)12月12日開店
⑤ 主婦の店中津川店/1959年(昭和34年) 5月27日開店
この5店舗の「風車系主婦の店」の中でリーダー役だったのは、
東濃地域で最初の主婦の店
「主婦の店多治見店」(金山省吾社長)だったそうです。
吉田日出男さんは「主婦の店多治見店」について、
前掲書「スーパーの原点」第7章日本スーパーマーケット研究所の
‘スーパーマーケットの代名詞「主婦の店」’の項(142ページ)に
次のように書いています。
・・引用・・
そしてスーパーマーケットの代名詞が
「主婦の店」であると思われたぐらいだから、
主婦の店本部への開店指導を求めるものは多かった。
・・略・・
昭和三十三年四月に、岐阜県多治見店が開店した。
この計画者は日専連(注:日本専門店連盟)の会員で、
金山さんという前は洋服店をやっていた人であったが、
全面的に切りかえた。
ここは二百坪というそのころとしては
非常に大きな陶器倉庫を改造した店舗であった。
この開店の時にオオクワ(注:後の主婦の店新宮店で、
現在の株式会社オークワのこと)の社長大桑勇氏が見えて、
「私もぜひ主婦の店をやりたい、ぜひ指導して欲しい」と申し出る、
というようなことがあった。
・・引用終わり・・
2008年3月8日(土曜日)に、
「主婦の店中津川店」(現:スマイル四ツ目川店、岐阜県中津川市新町7-25)、
「主婦の店恵那店」の跡地(岐阜県恵那市大井町銀座2丁目商店街、
現在のバロー恵那店は開業地ではない)、
「主婦の店土岐店」(現:サンマート本店、岐阜県土岐市泉町久尻38番地4)
へ行ってきました。
「主婦の店多治見店」と「主婦の店瑞浪店」は既に廃業しています。
「主婦の店瑞浪店」があった場所
(現在は市営河原駐車場、瑞浪市寺河戸町字河原)へ
3月2日(日曜日)に行ってきました。
しかし、「主婦の店多治見店」があった場所の確認に
予想以上に手間取ってしまい、
跡地に建っている「たじみ創造館」へ行ったのは
3月29日(土曜日)のことでした。
多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、
そして中津川市の5市があります。
この東濃地域は、
「主婦の店運動」が盛んな地域でした。
開店した「風車系主婦の店」は次の通りです。
① 主婦の店多治見店/1958年(昭和33年) 4月 1日開店
② 主婦の店恵那店/ 1958年(昭和33年) 9月12日開店
③ 主婦の店瑞浪店/ 1958年(昭和33年)12月 1日開店
④ 主婦の店土岐店/ 1958年(昭和33年)12月12日開店
⑤ 主婦の店中津川店/1959年(昭和34年) 5月27日開店
この5店舗の「風車系主婦の店」の中でリーダー役だったのは、
東濃地域で最初の主婦の店
「主婦の店多治見店」(金山省吾社長)だったそうです。
吉田日出男さんは「主婦の店多治見店」について、
前掲書「スーパーの原点」第7章日本スーパーマーケット研究所の
‘スーパーマーケットの代名詞「主婦の店」’の項(142ページ)に
次のように書いています。
・・引用・・
そしてスーパーマーケットの代名詞が
「主婦の店」であると思われたぐらいだから、
主婦の店本部への開店指導を求めるものは多かった。
・・略・・
昭和三十三年四月に、岐阜県多治見店が開店した。
この計画者は日専連(注:日本専門店連盟)の会員で、
金山さんという前は洋服店をやっていた人であったが、
全面的に切りかえた。
ここは二百坪というそのころとしては
非常に大きな陶器倉庫を改造した店舗であった。
この開店の時にオオクワ(注:後の主婦の店新宮店で、
現在の株式会社オークワのこと)の社長大桑勇氏が見えて、
「私もぜひ主婦の店をやりたい、ぜひ指導して欲しい」と申し出る、
というようなことがあった。
・・引用終わり・・
2008年3月8日(土曜日)に、
「主婦の店中津川店」(現:スマイル四ツ目川店、岐阜県中津川市新町7-25)、
「主婦の店恵那店」の跡地(岐阜県恵那市大井町銀座2丁目商店街、
現在のバロー恵那店は開業地ではない)、
「主婦の店土岐店」(現:サンマート本店、岐阜県土岐市泉町久尻38番地4)
へ行ってきました。
「主婦の店多治見店」と「主婦の店瑞浪店」は既に廃業しています。
「主婦の店瑞浪店」があった場所
(現在は市営河原駐車場、瑞浪市寺河戸町字河原)へ
3月2日(日曜日)に行ってきました。
しかし、「主婦の店多治見店」があった場所の確認に
予想以上に手間取ってしまい、
跡地に建っている「たじみ創造館」へ行ったのは
3月29日(土曜日)のことでした。
中内功さんと吉田日出男さんの‘交流’ [「行ってきました」シリーズ]
学校法人中内学園流通大学が編集・発行した
「中内功回想録」(2006年9月)と
「スーパーの原点」(吉田日出男・著、1982年4月)を読むと、
中内功さん(主婦の店ダイエー)と
吉田日出男さん(丸和フードセンター)が
‘交流’していたことがわかります。
①「中内功回想録」に吉田日出男さんが何度も登場し、
中内さんが「ダイエー」第1号店に「主婦の店」を
冠した経緯の記述もあります。
たとえば、同書120~121ページに次の記述があります。
・・引用・・
「主婦の店運動」というのを吉田日出男さんがやっていました。
吉田日出男さんが九州でスーパーをやっているということを聞きまして
千林に「株式会社主婦の店ダイエー本店大阪」を設立しました。
・・略・・
「スーパーマーケットでフランチャイズをやるのは難しい」と
と私(注:中内功さんのこと)は吉田さんに言った。
・・引用終わり・・
②「スーパーの原点」第8章 風車の店に
‘ダイエー中内氏と私’という項があり、
主婦の店ダイエーと丸和フードセンターの‘交流’についての
具体的な記述があります。
「中内功回想録」(2006年9月)と
「スーパーの原点」(吉田日出男・著、1982年4月)を読むと、
中内功さん(主婦の店ダイエー)と
吉田日出男さん(丸和フードセンター)が
‘交流’していたことがわかります。
①「中内功回想録」に吉田日出男さんが何度も登場し、
中内さんが「ダイエー」第1号店に「主婦の店」を
冠した経緯の記述もあります。
たとえば、同書120~121ページに次の記述があります。
・・引用・・
「主婦の店運動」というのを吉田日出男さんがやっていました。
吉田日出男さんが九州でスーパーをやっているということを聞きまして
千林に「株式会社主婦の店ダイエー本店大阪」を設立しました。
・・略・・
「スーパーマーケットでフランチャイズをやるのは難しい」と
と私(注:中内功さんのこと)は吉田さんに言った。
・・引用終わり・・
②「スーパーの原点」第8章 風車の店に
‘ダイエー中内氏と私’という項があり、
主婦の店ダイエーと丸和フードセンターの‘交流’についての
具体的な記述があります。
吉田日出男さん [「行ってきました」シリーズ]
岐阜県図書館で借りた
「日本小売業運動史 第三巻(戦後編)」は
本当に参考になりました。
1957年(昭和32年)1月23日から3日間、
生協対策として社団法人公開経営指導協会が
鳥取県米子市で主催した「全国小売業経営者会議」の2日目に
「セフルサービスについて-丸和フードセンターを語る」と題した
話をして参加者を昂奮させたという
丸和フードセンター社長の吉田日出男さんに、
私は非常に興味を持ちました。
丸和フードセンターは、
日本で最初のスーパーマーケットであった。(注*2)
同書247ページにこのように記載されている
丸和フードセンターが開店したのは
1956年(昭和31年)3月10日のことです。
(注*2:日本で最初のスーパーマーケットについては
「日本で最初のスーパーマーケットは?」の項で記載する予定です)
私は吉田日出男さんのことを
インターネット検索などで調べました。
そして、次の2冊の本があることがわかりました。
① 「スーパーの原点」(吉田日出男・著、1982年、評言社)
② 「風車と共に 主婦の店運動25年」
(主婦の店スーパーマーケット全国チェーン25周年記念誌編纂委員会・編集、
1982年、主婦の店スーパーマーケット全国チェーン)
「スーパーの原点」という本は、
岐阜県内の公立図書館の中で
「羽島市立図書館」だけにあることがわかり、
同図書館へ再び行き、
「スーパーの原点」を借りました。
2008年3月1日(土曜日)のことです。
続いて3月2日(日曜日)には、
瑞浪市民図書館へ行きました。
「風車と共に 主婦の店運動25年」を借りるためです。
「風車と共に 主婦の店運動25年」という本は
岐阜県内の公立図書館の中で、
瑞浪市民図書館と中津川市立図書館の2館にあるだけでした。
この2冊の本を読んで、
岐阜県東濃地区が
「風車系主婦の店運動」(注*3)の
中心的な地域であったことを知りました。
(注*3:日本最初の主婦の店である「主婦の店大垣店」は、
公開経営指導協会の指導によるものでしたが、
その後、意見対立などから吉田日出男さんが同協会を飛び出ました。
吉田日出男さん指導による「主婦の店」は、
‘風車マーク’をつけていましたので、「風車系主婦の店」と呼ばれていました。)
「日本小売業運動史 第三巻(戦後編)」は
本当に参考になりました。
1957年(昭和32年)1月23日から3日間、
生協対策として社団法人公開経営指導協会が
鳥取県米子市で主催した「全国小売業経営者会議」の2日目に
「セフルサービスについて-丸和フードセンターを語る」と題した
話をして参加者を昂奮させたという
丸和フードセンター社長の吉田日出男さんに、
私は非常に興味を持ちました。
丸和フードセンターは、
日本で最初のスーパーマーケットであった。(注*2)
同書247ページにこのように記載されている
丸和フードセンターが開店したのは
1956年(昭和31年)3月10日のことです。
(注*2:日本で最初のスーパーマーケットについては
「日本で最初のスーパーマーケットは?」の項で記載する予定です)
私は吉田日出男さんのことを
インターネット検索などで調べました。
そして、次の2冊の本があることがわかりました。
① 「スーパーの原点」(吉田日出男・著、1982年、評言社)
② 「風車と共に 主婦の店運動25年」
(主婦の店スーパーマーケット全国チェーン25周年記念誌編纂委員会・編集、
1982年、主婦の店スーパーマーケット全国チェーン)
「スーパーの原点」という本は、
岐阜県内の公立図書館の中で
「羽島市立図書館」だけにあることがわかり、
同図書館へ再び行き、
「スーパーの原点」を借りました。
2008年3月1日(土曜日)のことです。
続いて3月2日(日曜日)には、
瑞浪市民図書館へ行きました。
「風車と共に 主婦の店運動25年」を借りるためです。
「風車と共に 主婦の店運動25年」という本は
岐阜県内の公立図書館の中で、
瑞浪市民図書館と中津川市立図書館の2館にあるだけでした。
この2冊の本を読んで、
岐阜県東濃地区が
「風車系主婦の店運動」(注*3)の
中心的な地域であったことを知りました。
(注*3:日本最初の主婦の店である「主婦の店大垣店」は、
公開経営指導協会の指導によるものでしたが、
その後、意見対立などから吉田日出男さんが同協会を飛び出ました。
吉田日出男さん指導による「主婦の店」は、
‘風車マーク’をつけていましたので、「風車系主婦の店」と呼ばれていました。)