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「主婦の店全国チェーン」の解散 [「行ってきました」シリーズ]

矢作敏行・著「小売りイノベーションの源泉」
(日経新聞社、1997年9月発行)の
第1部 流通近代化の旗手‘3主婦の店運動の興亡’によると、
風車系主婦の店は;

 ~組織管理能力の欠如から70年代半ば以降急速に衰退し、
   主婦の店の看板を掲げる店の多くは、
   シジシージャパンに合流したそうです。~

そして、主婦の店スーパーマーケット全国チェーンは
1998年7月に解散しました。

ボランタリーチェーン主婦の店スーパーマーケット全国チェーン
(風車系主婦の店)はなくなりましたが、
風車系主婦の店の創業精神は
今もどこかのスーパーマーケットで生きていると私は信じています。

私の「風車系主婦の店」を探す旅
(「風車系主婦の店」へ行ってきましたシリーズ)は
これからも続きます。


日本スーパー発達史年表

日本スーパー発達史年表

  • 作者: 建野 堅誠
  • 出版社/メーカー: 創成社
  • 発売日: 1995/03
  • メディア: -



「たじみ創造館」 [「行ってきました」シリーズ]

2008年3月29日(土曜日)に多治見市図書館で
「多治見市居住者名簿地図」(1960年、東濃新報社発行)を見て
「主婦の店多治見店」の所在地を確認した後、
「主婦の店多治見店」の跡地に建っている
「たじみ創造館」(岐阜県多治見市本町5-9-1)へ行ってきました。

「たじみ創造館」館内を一回りした後、
「たじみ創造館」が「主婦の店多治見店」の跡地に
建っていることを確認するために、
同館1階の多治見市PRセンターにいた女性に聞いてみました。

私:
「ここは昔、「主婦の店多治見店」があった場所ですか?」

女性:
「そうです。ちょっと待ってください」
(女性は横にいた若い男性に「〇〇さんを呼んできて」と頼んだ。
 しばらくすると男性が現れた。) 

私:
「主婦の店多治見店はここにあったのですか?」

男性:
「主婦の店はここにありました」

私:
「私は「風車系主婦の店」を探しています。
 東濃地方の主婦の店のリーダー役だったのが
 主婦の店多治見店だと聞いています」

男性:
「よくご存知ですね」

私:
「でも、社内で謀反があって閉鎖することになったようです」

男性:
「謀反ではありません。経営陣の中で経営方針の違いがあったのです」

私:
「よくご存知ですね?」

男性:
「私は「主婦の店多治見店」で働いていました」

私:
「えっ!本当ですか」

男性:
「なつかしいなぁ」
「あの当時は仕入で本当に苦労した。
 地元の市場は売ってくれなくて、名古屋まで青果を買いに行った。
 名古屋の、えっ~と、あの人、・・・そう、〇〇さんに本当に世話になった」

私:
「スーパー〇〇〇〇の先代社長ですか?」

男性:
「〇〇〇〇、そうそう」



現代小売商業の諸問題 (1964年)

現代小売商業の諸問題 (1964年)

  • 作者: 竹林 祐吉
  • 出版社/メーカー: 協同出版
  • 発売日: 1964
  • メディア: -



佐吉大仏 [「行ってきました」シリーズ]

2008年3月23日(日曜日)に
私は岐阜県羽島市竹鼻町を再び訪れました。

佐吉大仏を拝観するためです。

吉田日出男さんは、
千代菊経営研究道場を主宰していた坂倉又吉さんの
協力者である内藤寿太郎さんから
竹ケ鼻(現在の岐阜県羽島市竹鼻町)に昔から伝わる
仏の佐吉という立派な商人の話を聞き、
1957年(昭和32年)3月23日に仏の佐吉が作らせたという
佐吉大仏を初めて拝観しています。

吉田日出男さんは、
ここでは詳しく書きませんが、
仏の佐吉にとても感激し、
商業運動(主婦の店運動)の決意をしたそうです。

そして、商業運動を決意した日、
3月23日を主婦の店の創業記念日と定めました。
(「スーパーの原点」第6章「主婦の店」誕生の
 ‘“仏の佐吉”との出会い’の項を参照)

私は佐吉大仏を拝観した後、
佐吉大仏の所有者である永田家を訪ねました。

「仏佐吉の画伝」(美濃竹鼻まちづくり委員会・編集発行、1997年4月)を
買い求めるためですが、
応対してくださった方々から吉田日出男さんについて
貴重なお話をうかがうことができました。

ところで、私が佐吉大仏を拝観した日は、
吉田日出男さんが初めて佐吉大仏を拝観した日と同じ3月23日であること、
すなわち主婦の店の創業記念日だったことに後から気づきました。


日本のスーパーマーケット―経営の理論と実際 (1960年) (経営シリーズ〈第1〉)

日本のスーパーマーケット―経営の理論と実際 (1960年) (経営シリーズ〈第1〉)

  • 作者: 倉本 初夫
  • 出版社/メーカー: 文化社
  • 発売日: 1960
  • メディア: -



‘風車マーク’の由来 [「行ってきました」シリーズ]

「スーパーの原点」(吉田日出男・著、評言社)の
154~155ページより引用しました。

・・・これまで、主婦の店という名のスーパーマーケットの
チェーンづくりをやってきたのですが、
その名前がよいせいですか、
全国にたくさん模倣するものが出てきましたので、
それらと区別するために、
風車のマークをつけて、
私たちのグループのマークとして使うようにしたわけです。

風車の中の四つの羽根は、
それぞれ意義を持たせているわけです。

その一枚の羽根は、消費者、お客さまです。
一枚の羽根は、社員の皆さんです。
一枚の羽根は、資本を提供して下さった株主です。
四枚目の羽根は、メーカー、
またはその代理をする問屋さん、仕入先です。・・・


スーパーの原点 (1982年)

スーパーの原点 (1982年)

  • 作者: 吉田 日出男
  • 出版社/メーカー: 評言社
  • 発売日: 1982/04
  • メディア: -



「主婦の店エマ」 (主婦の店上松店) ・・・2 [「行ってきました」シリーズ]

私が最初に行った店舗は、
1964年(昭和39年)7月23日に開店した
「主婦の店エマ上松店」(長野県木曽郡上松町駅前通り2丁目9)です。

‘風車マーク’はありませんでした。

残念。

続いて、1967年(昭和42年)4月1日に開店した
「主婦の店エマ栄町店」(長野県木曽郡上松町栄町2丁目35)へ
歩いて向かいました。

‘風車マーク’がありました。

ペンキが剥げ落ちているし、
風車の向きが少し変ですが、
間違いなく‘風車マーク’です。

感動の瞬間。

黙って写真を撮るのは
「風車系主婦の店」に対して失礼なので、
‘風車マーク’の撮影許可を求めるために
「主婦の店エマ栄町店」に入り、
お店の女性に尋ねました。

私:「写真を撮っていいですか?」

女性:「どの写真ですか?」

私:「表の‘風車マーク’です。風車系主婦の店を探しているので」

女性:「それならいいと思います」

私:(レジ台横のボードにチラシが貼ってあり、‘風車マーク’があるのを見つけて)
  「チラシをもらえないですか?」

女性:「これ1枚しか持ってこなかったので。‘風車’ならレジ袋にありますよ」
  (と言ってレジ袋を見せてくれる)

私:「じゃあ、買物をするので、余分に1枚下さい」

女性:「いいですよ」

私は‘風車マーク’を見つけたことで興奮していましたが、
その一方で気になることがありました。

それは「主婦の店エマ栄町店」に買物に来ていた
複数の高齢の女性たちのことです。

私は、これらの高齢の女性たちはきっと
「主婦の店エマ栄町店」の開店した1967年から
約41年間ずっとお客さま、
すなわち‘主婦’だと思いました。

「主婦の店エマ栄町店」は、
スーパーマーケットというよりは田舎の総合食料品店
といった方が正しいのかもしれませんが、
‘主婦’のための店であることは間違いないと思いました。


近代日本流通史

近代日本流通史

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 東京堂出版
  • 発売日: 2005/10
  • メディア: 単行本



「主婦の店エマ」(主婦の店上松店)・・・1 [「行ってきました」シリーズ]

私の「主婦の店を探せ!」はいつの間にか
「風車系主婦の店を探せ!」(風車マークを探せ!)
に変わりました。

それは、「主婦の店」と言っても、
いろいろな系統があったことが少しずつわかってきて、
その中でも‘風車マーク’の「主婦の店」(風車系主婦の店)、
すなわち吉田日出男さんが指導した
「主婦の店」にしか興味がなくなったからです。

「主婦の店を探せ!」が始まった
2008年2月22日から
3月17日(月)までに訪ねた「主婦の店」、
または「主婦の店」跡地は次の通りです。
 
 ① 「主婦の店大垣店」 (跡地)
 ② 「主婦の店浜松店」 (現:「主婦の店城北店」)
 ③ 「主婦の店加納店」 (営業中)
 ④ 「主婦の店瑞浪店」 (跡地)
 ⑤ 「主婦の店中津川店」 (現:スマイル四ツ目川店)
 ⑥ 「主婦の店恵那店」 (跡地)
 ⑦ 「主婦の店土岐店」 (現:サンマート本店)
 ⑧ 「主婦の店一宮店」 (跡地)
 ⑨ 「主婦の店北方店」 (跡地)
 ⑩ 「主婦の店柳ケ瀬店」 (営業中)

しかし、「風車系主婦の店」のシンボルである
‘風車マーク’を見つけることはできませんでした。

さて、2008年3月18日(火曜日)に
JR岐阜駅から東海道本線に乗り、
名古屋で中央本線(西線)に乗り換えて
長野県木曽郡福島町上松へ行ってきました。

岐阜駅から上松駅までは3時間以上かかりました。

「主婦の店エマ」を見るためです。

‘風車マーク’を見ることができるとの予感がありました。

「主婦の店エマ」は、
「主婦の店恵那店」(現:バロー)の創業者である
伊藤喜美さん(現・バロー相談役名誉会長)の紹介により
吉田日出男さんの指導を受け開店した「風車系主婦の店」です。

伊藤喜美さんは「主婦の店エマ」のエピソードを
前掲書「風車と共に 主婦の店運動25年」の
地方座談会Ⅲ中部地区協議会の中で
次のように述べています。

・・引用・・
 ところで、長野の上松店がおみえになっていませんが、
 依馬現社長のご両親は恵那出身で、
 昔からよく存じておりました。
 以前は米屋さんでしたが、昭和39年頃私のところへみえまして、
 「主婦の店をやってみたいが、どうしたらよいか」ということで、
 私は金山社長と吉田先生の三人で上松店へ出向いて、
 いろいろと相談にのったものです。
・・引用終わり・・


日本の流通100年

日本の流通100年

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 2004/12
  • メディア: 単行本



「主婦の店一宮店」 [「行ってきました」シリーズ]

2008年3月16日(日曜日)に
一宮市立豊島図書館へ行ってきました。

もちろん「主婦の店一宮店」を調べるためです。

(公開系の)「主婦の店一宮店」が開店した
1957年(昭和32年)11月の
中部日本新聞(現在の中日新聞)を借りて、
「主婦の店一宮店」に関する記事を探しましたが
見つかりませんでした。

ひょっとしたら「主婦の店一宮店」は
岐阜県にあった(?)
と弱気になりながら、
もう一度中部日本新聞を見直しました。

今度は記事ではなく
求人募集広告欄を探しました。

すると、1957年(昭和32年)11月3日の
中部日本新聞に次の求人募集広告を見つけました。

   ◎急募◎ 女子店員 10数名
   男子店員   数名
   健康明朗身元確実通住可 履歴書持参ご来店下さい
   アメリカ式システム 楽しいお買物
   スーパーマーケット 主婦の店
   連絡所 一宮天王町(西一宮駅前)KKかぎや商店

続いて私は古い住宅地図を借りました。

「全住宅案内図帳」(昭和35年10月1日 住宅協会)に
「主婦の店」が載っていました。

名古屋鉄道尾西線「西一宮」駅のすぐ近くです。

中部日本新聞と「全住宅案内図帳」を複写した後、
私は‘現場’へ急行しました。

吉田日出男さんは「スーパーの原点」
第7章日本スーパーマーケット研究所の
‘「主婦の店」本部’の項139~140ページに
次のように書いています。

・・引用・・
 私は新開店の指導を次々に依頼されて、身辺多忙をきわめた。
 当時のメモを見ると、三十二年十月に岐阜・加納店が開店した。
 これは酒屋さんであった。
 次いで十一月に開店した一宮店は、
 土地では有名な「かぎや」という食品店で、
 祖父の代からの立派な商店であった。
・・引用終わり・・

余談ですが、廃業してしまって跡形がない
「主婦の店」を探す方法としては、
地元の図書館へ行き、
その当時の新聞と住宅地図を調べる方法がありますが、
図書館の担当者に年配の方、
特に女性がいると大いに助かります。

なぜなら、私が探している「主婦の店」を利用していた
‘主婦’である可能性が高いからです。

ちなみに、一宮市立豊島図書館で
「主婦の店一宮店」の跡地を
探すのを手伝っていただいた女性から
「西一宮だけでなく、東一宮という駅もあった」
ことを教えていただきました。


セルフサービス入門 (1958年)

セルフサービス入門 (1958年)

  • 作者: 長戸 毅
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 1958
  • メディア: -



岐阜県東濃地域の「風車系主婦の店」 [「行ってきました」シリーズ]

岐阜県東濃地域には、
多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、
そして中津川市の5市があります。

この東濃地域は、
「主婦の店運動」が盛んな地域でした。

開店した「風車系主婦の店」は次の通りです。

 ① 主婦の店多治見店/1958年(昭和33年) 4月 1日開店
 ② 主婦の店恵那店/  1958年(昭和33年) 9月12日開店
 ③ 主婦の店瑞浪店/  1958年(昭和33年)12月 1日開店
 ④ 主婦の店土岐店/  1958年(昭和33年)12月12日開店
 ⑤ 主婦の店中津川店/1959年(昭和34年) 5月27日開店

この5店舗の「風車系主婦の店」の中でリーダー役だったのは、
東濃地域で最初の主婦の店
「主婦の店多治見店」(金山省吾社長)だったそうです。

吉田日出男さんは「主婦の店多治見店」について、
前掲書「スーパーの原点」第7章日本スーパーマーケット研究所の
‘スーパーマーケットの代名詞「主婦の店」’の項(142ページ)に
次のように書いています。

・・引用・・
 そしてスーパーマーケットの代名詞が
 「主婦の店」であると思われたぐらいだから、
 主婦の店本部への開店指導を求めるものは多かった。
  ・・略・・
 昭和三十三年四月に、岐阜県多治見店が開店した。
 この計画者は日専連(注:日本専門店連盟)の会員で、
 金山さんという前は洋服店をやっていた人であったが、
 全面的に切りかえた。
 ここは二百坪というそのころとしては
 非常に大きな陶器倉庫を改造した店舗であった。
 この開店の時にオオクワ(注:後の主婦の店新宮店で、
 現在の株式会社オークワのこと)の社長大桑勇氏が見えて、
 「私もぜひ主婦の店をやりたい、ぜひ指導して欲しい」と申し出る、
 というようなことがあった。
・・引用終わり・・

2008年3月8日(土曜日)に、
「主婦の店中津川店」(現:スマイル四ツ目川店、岐阜県中津川市新町7-25)、
「主婦の店恵那店」の跡地(岐阜県恵那市大井町銀座2丁目商店街、
現在のバロー恵那店は開業地ではない)、
「主婦の店土岐店」(現:サンマート本店、岐阜県土岐市泉町久尻38番地4)
へ行ってきました。

「主婦の店多治見店」と「主婦の店瑞浪店」は既に廃業しています。

「主婦の店瑞浪店」があった場所
(現在は市営河原駐車場、瑞浪市寺河戸町字河原)へ
3月2日(日曜日)に行ってきました。

しかし、「主婦の店多治見店」があった場所の確認に
予想以上に手間取ってしまい、
跡地に建っている「たじみ創造館」へ行ったのは
3月29日(土曜日)のことでした。


小売りイノベーションの源泉―経営交流と流通近代化

小売りイノベーションの源泉―経営交流と流通近代化

  • 作者: 矢作 敏行
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 1997/09
  • メディア: -



中内功さんと吉田日出男さんの‘交流’ [「行ってきました」シリーズ]

学校法人中内学園流通大学が編集・発行した
「中内功回想録」(2006年9月)と
「スーパーの原点」(吉田日出男・著、1982年4月)を読むと、
中内功さん(主婦の店ダイエー)と
吉田日出男さん(丸和フードセンター)が
‘交流’していたことがわかります。

①「中内功回想録」に吉田日出男さんが何度も登場し、
  中内さんが「ダイエー」第1号店に「主婦の店」を
  冠した経緯の記述もあります。

  たとえば、同書120~121ページに次の記述があります。

  ・・引用・・
   「主婦の店運動」というのを吉田日出男さんがやっていました。
   吉田日出男さんが九州でスーパーをやっているということを聞きまして
   千林に「株式会社主婦の店ダイエー本店大阪」を設立しました。
   ・・略・・
   「スーパーマーケットでフランチャイズをやるのは難しい」と
   と私(注:中内功さんのこと)は吉田さんに言った。
  ・・引用終わり・・

②「スーパーの原点」第8章 風車の店に
  ‘ダイエー中内氏と私’という項があり、
  主婦の店ダイエーと丸和フードセンターの‘交流’についての
  具体的な記述があります。


スーパーの原点 (1982年)

スーパーの原点 (1982年)

  • 作者: 吉田 日出男
  • 出版社/メーカー: 評言社
  • 発売日: 1982/04
  • メディア: -



吉田日出男さん [「行ってきました」シリーズ]

岐阜県図書館で借りた
「日本小売業運動史 第三巻(戦後編)」は
本当に参考になりました。

1957年(昭和32年)1月23日から3日間、
生協対策として社団法人公開経営指導協会が
鳥取県米子市で主催した「全国小売業経営者会議」の2日目に
「セフルサービスについて-丸和フードセンターを語る」と題した
話をして参加者を昂奮させたという
丸和フードセンター社長の吉田日出男さんに、
私は非常に興味を持ちました。

丸和フードセンターは、
日本で最初のスーパーマーケットであった。(注*2)

同書247ページにこのように記載されている
丸和フードセンターが開店したのは
1956年(昭和31年)3月10日のことです。

(注*2:日本で最初のスーパーマーケットについては
 「日本で最初のスーパーマーケットは?」の項で記載する予定です)

私は吉田日出男さんのことを
インターネット検索などで調べました。

そして、次の2冊の本があることがわかりました。

① 「スーパーの原点」(吉田日出男・著、1982年、評言社)
② 「風車と共に 主婦の店運動25年」
   (主婦の店スーパーマーケット全国チェーン25周年記念誌編纂委員会・編集、
    1982年、主婦の店スーパーマーケット全国チェーン)

「スーパーの原点」という本は、
岐阜県内の公立図書館の中で
「羽島市立図書館」だけにあることがわかり、
同図書館へ再び行き、
「スーパーの原点」を借りました。

2008年3月1日(土曜日)のことです。

続いて3月2日(日曜日)には、
瑞浪市民図書館へ行きました。
「風車と共に 主婦の店運動25年」を借りるためです。

「風車と共に 主婦の店運動25年」という本は
岐阜県内の公立図書館の中で、
瑞浪市民図書館と中津川市立図書館の2館にあるだけでした。

この2冊の本を読んで、
岐阜県東濃地区が
「風車系主婦の店運動」(注*3)の
中心的な地域であったことを知りました。

(注*3:日本最初の主婦の店である「主婦の店大垣店」は、
 公開経営指導協会の指導によるものでしたが、
 その後、意見対立などから吉田日出男さんが同協会を飛び出ました。
 吉田日出男さん指導による「主婦の店」は、
 ‘風車マーク’をつけていましたので、「風車系主婦の店」と呼ばれていました。)


スーパーの原点 (1982年)

スーパーの原点 (1982年)

  • 作者: 吉田 日出男
  • 出版社/メーカー: 評言社
  • 発売日: 1982/04
  • メディア: -





風車と共に―主婦の店運動25年 (1982年)

風車と共に―主婦の店運動25年 (1982年)

  • 作者: 主婦の店スーパーマーケット全国チェーン
  • 出版社/メーカー: 主婦の店スーパーマーケット全国チェーン
  • 発売日: 1982/04
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